2015年2月17日火曜日

糸杉先生の発言とその中身。

いろいろと不憫に思うので、糸杉先生の発言がどういうものだったのか、
糸杉先生は何がしたく、そしてどうするべきだったのかを考えていました。
今から書くものは、全て私個人の解釈であり、決めつける内容ではありません。


ハッキリ言えば、40もいく良い大人があんな発言をネット上で軽々とするのを見てると、みっともない限りです。 松下さんのまとめを載せたいのですが、糸杉さん自身がツイートを削除したため、
まとめサイトのほうのURLを載せます。
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-30160.html
以上の発言が問題視され、糸杉先生自身も混乱したからか とんでもない発言を繰り返してしまい、見苦しい結果となってしまいました。

まず注目すべきは糸杉柾宏という漫画家がどういう人物か、です。
この方、実は過去にいろいろ問題になりそうな、もしくはなった発言を連発されてる方でして、
例をあげますと、「2ch住民を嫌悪してる」「中二病でも恋がしたいはパクり」「編集は漫画家を気遣え」などなど
炎上商法でも企んでるのでは?と思われても仕方がありません。

また糸杉先生の発言の仕方は大変、滅茶苦茶でして。
以前、自分が言ってたことと矛盾するような発言や、無責任な一方的発言
自分を擁護してくれる相手には丁寧に指摘してくる相手には煽るように扱う
あとは 普通の言葉に荒い部分が少々見られたり、根本的に難のある方のようで。

漫画家やイラストレーターに限らず、自分の性格や内面的要素があまり仕事に反映せず、技術で仕事をされている方の中には、得てして内面に問題のある方が 多々おられるのです。
(もちろん漫画家は、性格や内面的要素が仕事に反映することが普通にありますから、特殊の中で育った方の中で、さらに特殊なものが生まれるという仮定にさせてもらいますが)

技術面で仕事をされているのだから、性格なんてものは関係ないと思われがちですが、それは断片的な解釈でしかありません。
作品を見る際には、どうしても作者の作品への思い入れや、心持ちで判断することがあります。私は全てをそれで判断するわけではありませんが、それも一つの重大要素として判断しています。
ですから、漫画と作者が無関係ということはありえません、しかし100%の繋がりがあるわけでもありません。 しかしその部分を失うことは作家生命に打撃を与えます

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糸杉先生があげた問題は
同期の友人が糸杉先生の後輩の篠房六郎のところにアシスタントに言った際、
篠房六郎先生への注文に答えられないため、「俺はお前じゃない」といった発言をしたそうです。
http://twitter.com/masahiroitosugi/status/566301127197470720
ここまで見れば、アシスタントが仕事ができないことを無責任にも先生に当たったという解釈が可能です。これだけならアシスタントさんが悪いという話になったはずだったのですが、

しかし糸杉先生は「アシスタントはお金をもらってる以上、文句は禁止」と発言し、
また、これは全てのアシスタントに当てはまることだと発言しました。
http://twitter.com/masahiroitosugi/status/566301614198124544

先生の中ではこういった図ができあがっていたようで、
【アシスタント】:俺はお前じゃない
【作家が求める理想】:自分か、それ以上のスキル。
そして、できるできないの前に放棄してはならない。それがアシスタントの使命であり運命。
再現できなくても、言われたことを努力して再現する。
http://twitter.com/masahiroitosugi/status/566302082550886400
アシスタント以前の前に労働者の基本ですからね、求められる理想に対して自分の能力でそれを再現するのは、労働者が基本的に行う仕事です。
ここまでなら先生の言っていることは まだ理解性がありました。

以下は連続した 糸杉先生の意見です。

「要は空気読めって話。できないなりに努力をしろってこと。
的確な指示なんて漫画描いてる現場で出来る人はそうそういない。ていうか、できない。出来る人は偉いけど。
あとは作家が要求することを自分なりに解釈して再現してみせる、それがアシスタントに求められるスキル。」


「特に専業アシスタントには、是非とも言いたい。「俺はお前じゃない」という言葉を口にするしないに関わらず、思ってもいけないよ。
アニメを見てごらん。みんな歯車になってるんだ。そうやってアニメは完成されていくんだ。
それを「再現できない」から「放棄する」のは、ダメだろ。」


「たとえば靴描いてとか服描いてとか、資料を自分で探してやってもらうことは多い。
それを作家の怠慢だと責めるアシスタントもいる。
いや、それが求められた仕事なら、しろ。文句を言われる筋合いはない。
お金払ってるんだから。」


「あと、これも言いたい。作家にキレるな。
キレてもいいけど、裏でやっとけ。
どんな酷い環境であろうと、求められたことを再現できないのは、スキル不足であり、アシスタントの怠慢。こっちはお金払ってるんだから。
上下関係を忘れるな。」


「作家にキレていいアシスタントはこの世界に存在しない。少なくともブチ切れて暴言を吐き散らすアシスタントには本当にうんざりする。お金を貰ってるんだから、絶対にそんなことをしてはいけない。
社会人としてな。」


以上の発言は、あまりにも身勝手すぎる部分がいくつか見られます。
権利と義務、社会経験・構造に対して かなり誤解が多いです。

まず労働者は基本的に 与えられた仕事を果たしますが、
与える仕事を分別、また能力チェックや裁量は雇い主や上層がやることです。
「的確な指示なんて漫画描いてる現場で出来る人はそうそういない。ていうか、できない」
的確な指示をするのは、難しいです、指示をするにしてもそれをそのまま実行してくれるか、それもまた難しいです。 ですが指示を的確化、そしてその人の能力に見合った指示をするのは、雇う側である作家さんがやるべき、努力すべきことなのではないでしょうか?

「あとは作家が要求することを自分なりに解釈して再現してみせる、それがアシスタントに求められるスキル。」
そんな便利なツールこそ そうそういません。自分なりな解釈が失敗を呼んだ際のリスクを考えればなおさらです。コミュニケーションとまで言いませんが、自分の解釈をしっかりと伝える、もしくは相手の解釈を聞いて見てから修正を入れることは、重大要素です。

「アニメを見てごらん。みんな歯車になってるんだ。そうやってアニメは完成されていくんだ。
それを「再現できない」から「放棄する」のは、ダメだろ。」

この方はアニメ業界での経験がある方なのでしょうか?まぁ、それに限らず
一個人の体験でキレた感情をアニメ業界と結び付けられるのは不快ですね。

「どんな酷い環境であろうと、求められたことを再現できないのは、スキル不足であり、アシスタントの怠慢。こっちはお金払ってるんだから。上下関係を忘れるな。」
ブラック企業の言い訳と同じです。
酷い環境という自覚がある辺り、かなり辛辣な対応をされてるご様子。
あとお金を払ってるんだから、上下関係を忘れるな。というのは社会人が言う言葉ではありません。

「お金を与えるのだから働け、それでできないのならスキル不足」というのであれば、雇用システムを変えて「アシスタントとして働いてみて、スキルがあるなら給料を上げる」というシステムにすればいいだけの話です。


「あの時は僕にも非があった。風邪が長引いて原稿が全然進まずに仕事中寝てばかりいた。
アシスタントとしては、「俺達は風邪引いたって仕事しなきゃいけないんだから作家ならかじりついてでも原稿やれって」ってことだったんだと思う。」

「無理だって。3週間近く風邪が長引いてまともに仕事ができない状態だったんだから。それで、アシスタントの仕事にリテイクを出し続けたら、ついにぶち切れられた。
「糸杉さんがちゃんとやってくれればちゃんとやりますよ!」と。」

しかしこういう状況になるということは やはり酷い職場だったのでしょう。


「あと、僕の発言が彼の逆鱗に触れた。「あのね、✕✕さん、やる気の無さが線に現れてるんですよ」 これがものすごいぶち切れられた。」

「やる気のある線、やる気のない線、そんなの見りゃわかりますよ。
で、それを指摘した途端、「はああああああああ???やる気がないぃぃいいいい???
それだけは言っちゃいけねえ!!」 という形で、破局。」


「まあ、その発言が不用意でなかったか、うかつな発言ではなかったかといえば、検証の余地はある。が、かといって作家にキレていい理由にはなりません。」

「不条理な仕事であっても、金を貰っている以上、耐えろ。
これが、アシスタントに覚えておいてもらいたいこと。鉄則です。
作家に対してキレるな。君は雇われている側だ。雇われている側に過ぎないんだ。そのことを忘れるな。」


「要は、耐えろ、ということです。」

自分の発言に対して まったくの疑問を持たない、世の中を語るわりには視野の狭い言い分。
一般企業と同じにするなとは、批判をガードする防壁でしかありません。
まぁ その後、本当にアシスタント業界の方が現れて 鉄槌の如く批判されてましたが。

確かに、雇われた側が自分の勝手な行動で 雇い主に迷惑をかけたり、仕事を放棄するのは
絶対にやってはいけないことです。
しかし、状況が状況です。糸杉先生自体の問題と、その先生が言う雇用体制、
糸杉先生の全てが間違っているわけではありませんが、あの説明では伝わるものも伝わらず、先生の悪い部分だけが目立ってしまってます。
(まぁ、先生の言っている正論の部分は、労働の基本なので擁護すらしませんが)

「あと、今はちゃんと指示もできるし、アシさんとの関係も良好で、その「キレたアシ」とは絶縁関係なので、あくまで過去の愚痴です。」

「後にも先にも、「キレたアシ」のように「キレた」アシスタントさんは、その人だけです。
だから、特殊条件下の特殊な事例として考えて下さい。」


「まとめ主に狙われましたね。ブロックしたのでどうでもいいですけど」

こんなこと後から言うようでは、なんだかやるせなくなります。小学生ですか。

また糸杉先生は指摘した松下さんにエゴサーチで絡まれ、
「整理してから言って」と言い、松下さんは togetterでまとめられたのですが、
それに対して
「黙れ」「気持ち悪い」「空気読め」「ウザい」
と悪態をつく様はさすがに、どうかと思います。まとめ主に狙われたという被害妄想もですが。
言わせてもらえば、因果応報というやつです。

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では先生の矛盾したり、おかしい発言をまとめていきます。

先生は自らをレイシストとまで良い、2ch住民を批判しました。
それへの指摘に対して「いまぼくに絡んでいる人は何故敬語を使わないのだろう。」と
発言されました。 それは先生自身に対しても言えることです。
敬語を使って 自分の発言を指摘してくれる人物に対して暴言を言う人にだけは
言われたくありません。

「最近考えを改めたのですよ。漫画家が漫画だけ描いているマシンじゃないって
ことを知ってもらわなきゃいけない。そのための布石ですよ。」
金もらってるけど漫画家はマシンじゃない⇒アシスタントは金あげてるからマシン
 
http://togetter.com/li/779695
 
「編集さんのサポートがないとそういうことになるんだよ。」
漫画家のサポートがないとそういうことになるんだよ
 
「でもさ、「30分で帰ろうって思ってたんだ…」って思っちゃうよね。普通に考えれば。
口が滑ったでは許されない発言ですよ。
打ち合わせしたくないんかよ!!仕事放棄かよ!!」
金もらってるんだから、編集さんに文句言うなよ
 
「ちょっとさ、言われた人の気持ちをちゃんと考えてから発言しましょうや。人間として。」
人間として(笑)。
 
「僕は言われた側だからね。
言っちゃいけないことは言っちゃいけないと主張する権利がある。ただ、本人には伝えないというだけで。」
主張する権利(笑)
 
「編集さんお断りアカウントだと何度も念を押したしね。心が大人であればたとえこのツイートを読んだところで、きちんとスルーできる。出来なければ、子供。」
心が大人であれば こんなツイートしない。
 
「僕は子供なので、こうやってぶちまけてしまう。
やっかいな人間なのです。」
開き直りました。糸杉先生は子供です。 ですからどんな暴言も、どんな誤解した知識を使っても、
どんな態度をとっても、全て許されるそうです。子供だから。
 
悪口は考えてはいけない、言わないが鉄則でしたが、
子供だし、本人の前で言わなければいいやっていう鉄則もありますから、言っちゃったのでしょう。
 
あと糸杉先生を擁護しようとした人の発言も 大変滑稽でした。
ほとんどが、
「糸杉先生、大変だな」「業界じゃない人間が語るな」「絡んでる奴は~~~」
という糸杉先生の発言を擁護するものではなかったからです。
なのに先生は「代弁ありがとうございます」とRTしちゃうわけです。
 
また業界じゃない人間が語る資格がないというのは大きな間違いです。
業界の話を 一般人が語るのがダメなのは「間違った知識を披露する可能性があるから」
決して、「業界の人である資格がないから」ではありません。
 
まぁ、要するに先生は ただ単に慰めてほしかっただけなのです。
しかし結果的に知名度をあげる炎上商法になってしまいました。私は買いませんが。
あと松山せいじさんの「クソリッパー発言」はどうかと思いました。
 
中途半端に絡まれると、琴吹かづきさんと同じく噛ませ犬みたいになるんですよ。
そしてツイートを削除して「作為的にまとめられるのが嫌」って なら言うなよって話ですが。
どの人も この人も無責任ですね。
 
とりあえず買わない漫画が増えて良かったです。
糸杉柾宏先生と、松山せいじ先生に感謝です。 個人的な意見ですが、こういう人の漫画は
得てして内面が漫画に出ていますから。
 
※以上の記事は全て フィクションであり、個人、団体、作品を批判、軽蔑するものではありません。いかなる責任問題も受け付けませんので、ご了承ください。 雇用関係でもありませんし。

2015年2月12日木曜日

ローリングガールズを4話まで見て分かったこと【アニメ批評】

とりあえず4話まで見ました、ローリングガールズ。
すごいアニメとまでは言えませんし、面白いアニメかと言われましたら別ですが、
主役の声優やら、キャラデザやら、恵まれてるものはあるかもしれませんね。
(個人的にはtanuはアキバズトリップ2のデザインもしてよって感じですが)

で、私がこの4話を見て思ったのは
この4話を所沢編と東京編に分けることで、まったく違うアニメになるということでしょうか。
同じアニメですが、やりたいことや描いてあることがまるで違うのです。
これはアニメでやったら「自己満足アニメ」「設定詰め込みすぎ」と批判されます。
少しローリングガールズから脱線しますが、

アニメや漫画、小説、映画では、作り手が読み手に対して伝えたいことが一貫していると
それが、どんなに不条理なものでも必ず読み手に伝わります。
伝えたいことは基本的に単純なものから共感になることの全てを含みます。

追体験に近いのでしょうか。ギャグ漫画家は最終的に笑いを、
ホラー漫画家は最終的に恐怖を、少女漫画家は最終的に感動を、読者に与えます。
作品は作り手が読み手に考えたものを送るツールとして機能していますから、
ストーリーもキャラクターも設定も、その伝えたいことの補助役になるのです。

作り手が読み手に対して伝えたいことがなかったり、作品への思いがまとまってない、というのはただの自己満足になるわけです。 小中学生と同じですが、漫画に影響されて俺も漫画描きたいというだけの人が描いた漫画は どれも黒歴史になるのではないのでしょうか?。  では「欲求でイラストや漫画を描いても面白い人はいるのでないか?」という疑問が私の中で生まれました。 絵を描きたいという欲が原動力の一つとなって描いてる人もいます、イラストサイトを見ればごまんといます。

しかし評価される作品を作る方はある程度 伝えたいことや作品に込めた思いがまとまっているのです。というか基本的には評価されるされない関係なく、どの作家も大概そうだと思います。
つまり次に生まれる問題は、作品の中身があるかないかではなく、詰め方になっていきます。

中身の詰め方とは何か。それは前述の通り、その作品の顔であり、体であり続ける部分です。 どういうことかと言うと、例に、作品へ詰め込みたい設定を全て貼り付けるとどうなるでしょうか。漫画ではあるあるですが普通なら没になりそうな駄キャラクター生まれたりします。あとは完全に忘れられる邪魔な設定とか、あるあるです。
だから作り手は 頭の中にある作品を作る上でやっていきたい設定の中から 今使うべきものと、後に取っておくべきものを取捨選択しなければいけないのです。
中二病の学生が描くものと、プロレベルの人が描く作品の違いはこういう部分にあると思います。



本題に戻ります、ローリングガールズの4話を所沢と東京の2話ずつに分けることで、
アニメの中にある本質的なものがガラリと変わってくるのです。
所沢編ではマッチャグリーンと執行の戦いが始まり、モサがなんだの過去に事故だの、自警団同士の戦いや、その自警団の設定の詰め合わせっぷり、突然のジェットコースター、執行の記憶で暴走するシーンなどなど、蛇足に感じたり足枷を味わうようなシーンが多々ありました。

そもそもマッチャグリーンと執行さんの戦闘シーンに魅力を感じなかったなんていう
味もそっけもないような感想は別として、モサのアニメ的不用さが苛立ちを覚えるのです。
いつの時代も、「制作陣はたくさん設定を考え、それをアニメで活かそうとするがあまり扱えず ファンブックで消化するオチ」というのは多々あるわけで。(レッカバンタイプムーン)

前述の内容の薄さ、もしくは詰め込みすぎによる濃さによって所沢編は苦痛でした。
2話の最後らへんから本編スタートでいいっすよ本当。


じゃあその3話から4話までの東京編。
このアニメの顔にすべき部分だと思います、荒はありますが。
<コミマ>という、いかにも詰め込みたい設定ですが、そこはいいでしょう。
ストーリーとして、できていたとも思います。ハートの石を集めたい、東京にあるかも、
行ってみたら誤解を受けて極刑に!、脱走して、なんやかんやあって誤解も溶けて解決。

小説家の人とか 籾山さんとか良い伏線を残したのも よかったのではないのでしょうか。
2話構成で話を消化するのは、某妖精さんアニメとかでしょうか。
待ち遠しいものはありますが、この体系にして成功だったと思います。所沢編は苦痛でしたが。
ってただの感想になっていました。

東京編がウケるのはモサの戦いがないからでしょうか。
モサという 制作陣にとっては話の中でも重要な要素でも、視聴者からしたら そこまで重要な
ものではないということです。このアニメならモサ同士の戦いではなく主人公の4人を動かしたほうがウケているので一概には言えませんが、モサは戦いの要素ではなく その土地のキーキャラとしてだけ消費するのが このアニメにとってはいいのかもしれません。

次に、所沢を飛び出して冒険をしだした4人ですが、この冒険がいいんでしょうね。
3、4話でも大統領が♡を集めているというとこぐらいしか込み入った設定はありませんでしたから、詰め込みすぎないバランスが、よりスラスラと視聴できるようにしたのでしょう。


ただここまではあくまでも所沢編と東京編を比べて、なぜ私が別々の印象を抱いたのかということを述べただけにすぎません。問題は作り手、つまりアニメ制作陣が 今後どちらよりに傾くのかが大事なのです。私は憶測で話しているのですから、もともと制作陣が作りたいものは 私が理想とするものなのかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。

所沢編であれど東京編であれど、作りたいことが一貫していなければいけません。
それはつまりどういうことか、疑問が浮かび上がります。
作品内で、FPSをやりだす漫画や、突然スポーツを始める漫画だってあるじゃないかと。
これは伝えたいこと、作りたいことの下位にあるものなのです。

前述の通り、キャラクター、世界観、は全て伝えたいことの補助役なのです。
(全てが伝えたいことと言ってもいいぐらいですがね)
途中でスポーツをやっても FPSを始めても、何してもその根本にある部分は何も変わらないと思います。それが一貫している漫画であれば。
ギャグ漫画で、スポーツやっても、料理しても結局はギャグに繋がります。
恋愛漫画で、スポーツやっても、料理しても結局は恋愛に繋がります。
ですから一話 一話で挟まれるイベントは 材料であって、作者が伝えたいことの補助役です。

つまりローリングガールズは新感覚・青春ロードムービーなわけですから、
作り手は「普通の子が平和もとめて旅をする」ところに意味を見出してほしいのです、
新感覚・青春ロードムービーしていない部分、つまり所沢編は私の考え方でいくとこのアニメのいらない部分になるのです、というのは極端すぎますね。前置きとでも。

女の子4人が各地を回る部分に目を向けたいわけです、作り手は。
だから旅に出ていない、女子4人も集まってない活躍してない所沢編が蛇足に感じたのです。
しかしあくまでも、これは私と制作側の言う新感覚・青春ロードムービーを私自身が欲していたからこそ感じたことであって、ローリングガールズを見て所沢編みたいなのを見たい人だっていないとは言い切れません。東京編を蛇足と感じる人もいるかもしれません。
しかしそれに関してはアニメ制作側すべてが悪いとは言えません、個人の趣向ですからね。


私としてはローリングガールズは、「私の中では」一貫した伝えたいものを持ち、それを伝えようとしているアニメだと評価をしたいわけです。ただ、今後の展開でそれはどう転ぶものかわかりません。新感覚・青春ロードムービーじゃないかもしれません。
その場合は作り手が悪いです。

あと4話のEDで静岡終了したのはクスリとも来ませんでしたが、
あれはスタッフが狙ってやっているのか、時間がないからないのか……。
小説版やら漫画版やらと展開はいろいろあるようですが、そちらのほうで出せなかったネタを出したり、紹介しきれなかった設定を出したりしても、このアニメを批評することには何も支障はありません。「小説版の設定があるんだから○○は××だよ」なんていうのは、私自身は非常に気に入らない部分があります。アニメの荒をそういう風に消化するのは冒涜です。
あくまでも、こういうのもあるんだよ という程度に耳に入れておきます。

最終的にはちょっと褒めましたが、いい材料でも調理の仕方が悪ければ糞アニメにだってなるし、良ければ神アニメになります。このアニメは材料こそいいんだから。
私はこのアニメ、応援していきたいですよ。ばんこ可愛いし。





































ばんこラクガキ。